さそり座24度
「一人の男の話を聴くために山から降りてきた群集」
Crowds coming down the mountain to listen to one man.
一人の男、イエスの知恵を求めて、山から下界降りてくる大勢の人々・・。
山の民が山から降りて里に溶け込むべく男の話を聴くとき、山から持ち込まれた未知の知恵が交換のように注ぎ込まれ、里の生活に組み込まれていく。それは奇跡的な変化ではない。外目 には大きな変化は無くとも水が土に浸透するように馴染んでいくのだ。それは内面から生活環境へ、そして社会環境へとひろがり、地に足のついた、大きな変化が始まっていく。使命感から新しい冒険へと試行錯誤していく。あたらしいチャレンジ。
山上の垂訓(マタイによる福音書
5.13
あなたがたは地の塩である。
だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。
もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
5:14
あなたがたは、世の光である。 山の上にある町は隠れることができない。
5:15
また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。
5:16
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、
そして、 人々があなたがたのよいおこないを見て、
この、「地の塩」「世の光」という言葉にわたしは強く惹き付けられました。地は地上、この現世の現実世界を意味し、塩は生命の維持に絶対に欠かせない要素として存在します。世の光は、人が人生の闇夜に求める道を照らす灯り、家路を照らす一筋の光なのだとわたしは思います。イエスは使徒に、そのような人間であれと言っている。そして山から降りたイエスと使徒を遠巻きに囲む人びとにも聞かせている・・・・。
サビアンシンボルに触れるようになって、わたしは今まで本当に興味のなかったイエス・キリストについて、聖書についておもしろいじゃないか!これはすごいんじゃないの?と、考えが180度変わっていきました。わたし自身は特定の宗教には関係しておらず、禅や古神道、というかアニミズムに近い自然信仰のような感覚をもっていますが、読み物としてもおもしろく大変示唆に富み、難解な部分も多いですが、聖書はとても興味深いものだと思うようになりました。
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